2017年。
とっくに明けてご挨拶が遅れまして
申し訳ございません。
いよいよこの春
四月後半~五月初旬を目途になりますが、
「穀雨茶房 もも」開店に向けて準備もすすめております。
みなさま、どうぞよろしくお願い致します。
昨日と今日とこちらも雪が舞い散り
センター試験を迎える時期って、必ず底抜けに寒いですね。
受験生を持つ親御さんのキモチ、本当にわかります。
わたしも、過去に息子の大学入試経験もあるし、
そしてつい先日は、娘の私立高校入試もあったので
しばらくいろんな事が手に着かず、本人もそうですが、サポートする親もドキドキ落ち着かない日々でした。
それが、めでたく本人の念願の運びになり、心からホッとしたばかりの今日この頃。
わたしも去年、国際中医薬膳師の試験を無事合格しましたし、お陰様で、親子共々すっきりとした嬉しい新年を迎えております。そんなこんなで、やっと落ち着いて2017年 スタートというわけです。
年末年始は実家に帰郷をし、久しぶりに石巻の街並みを散策しました。
大きな被害のあった市内門脇地区までは足をのばしませんでしたが、市内中心部は着々と素敵な街に変化していました。
「穀雨茶房もも」としてこの春、元あった場所に戻ってくるのは、実に6年ぶりという事になります。
2011年3月11日までは平穏にいつも通り、当時は「雑貨・茶ろん もも」として営業をしておりました。
中国茶や紅茶などを主に販売し、ランチ、カフェ業務、そして近くの市役所などにも小規模ながらもランチデリバリーをしていました。
そして、午後2時46分、当時小学生だった娘がたまたま早めに下校し、ランドセルを置いた瞬間あの東日本大震災でした。
こんな街中心部まで津波が来るとは誰も想像していなかったし、当時の様子は今も鮮明に目に焼きついています。
とても、簡単にはいい表せない場面や光景を目にしてきました。
わたしは身長157cmほどですが、今でも店の壁のあとにわたし頭の位置くらいの場所に津波の跡が残っています。
3~4日水がはけなく漂っていた跡です。水が入ってきたばかりはもっと水位があっただろうと思います。
後の無残な店の様子に愕然とし、しかし、全国から応援にきてくださったボランティアの方々に助かれて今日があります。あの時の御恩は一生忘れません。
その後、しばらく石巻を離れて暮らす決意をし、家族と仙台に移転しました。
そこで新しい出会いに恵まれ、仙台の柳生というところで「うつろひカフェ+茶ろん もも」と店名を変え、
再建をしようと必死になりました。
今思えば、少し自分に無理を重ねていたのかもしれません。
いろんな転機が訪れた時期でもありました。
再オープン1年後に甲状腺癌を発症。アルバイトに来ていた子まで病気に侵されるという最悪な事に。
一番辛い時期でした。
頑張ろう、頑張ろうともがけばもがくほど縺れる足元。
しかし、当時仙台で培ったご縁や友人らの支えもあり、今現在も太く繋っています。
辛い時、支えてくれるのは家族であり、友人であり。感謝しきれません。
その後、術後もしばらく頑張るつもりでしが、やはり体調が思うようにならず、静養することになりました。
その頃、めったにない経験、裁判員裁判の候補者に2度も選ばれるという事にもなり。
実際、6人の最終裁判員にはなりませんでしたが、仙台高等裁判所での一連の経験はなかなかそう体験できることではなかったです。犯罪を犯した人の判決を担う事の重大さをまざまざと体感しました。
その後、栃木を静養の地として暮らし始め、早や3年半以上経ちました。
その間、この地の温かい人々、友人らに恵まれ、もともと息子が暮らしていたという事もあり、
またいろんなご縁に導かれる奇跡と出会い。
いま。
こうして振り返ると、すべての出来事は、今の自分、これからなれる自分を作るための材料なんだなと。
あの時、へどろでまみれていた手帳も今はいい艶を増している。
学ぶためにここに居る。そう導かれていたのだと確信しています。
月光荘の未来ノートもここに来て3冊目。
1ページごとに実現可能にしていこうと思っています。
へこたれません。
生かさせてもらっています。
大いに人生を楽しみます。
これからも、よろしくお願い致します。